大人のための説教対策

 どうも、ミルさんです。今回で3回目の更新になりますが、初回で「オリジナル小説を投稿する場にしたい」と言っておいて、前回と今回で2回ともビジネス書のような内容になりました。

 とはいえ、これも私の思考の一部でありますから、似たような考えを持っていた人は是非とも共感してもらって、「ああ、こんなことを考えていたのは自分だけじゃなかったのか」とホッとしてもらえれば幸いです。

 

 

 

「大人のための説教対策」とは

 皆さん、「お説教」と聞いてどんなイメージを持ちますでしょうか。子供の頃にやっちまった失敗だったりいたずらだったり、それをこっぴどく叱られたことなど、まぁあまりいい思い出はないかと思います。

 とはいえ、それはそれで必要な経験なのでいいんです。まだやれることのスケールが小さい子供のうちにやってはいけないことを躾けるのがお説教ですから。

 ですが、この「やってはいけないこと」、これが本記事のミソです。大体高校生くらいになると大分精神が成熟してやっちゃダメなことは自分で判断できるようになります。その判断力はもう大人と大差ないでしょう。

 ではこのくらいの年齢になったら何も言われなくなるのかといったらそうではありませんよね。さすがに子供の頃のようにお説教というほど大げさではありませんが、ちょっとした小言や説法、あと進路相談の時なんかに言われがちな「社会はお前が考えているより甘いものじゃない」が代表的です。

 

 「親だから言っている」「心配して言ってるんだ」なんてこと、言われなくても分かっているし、なんかそれを言われるとモヤモヤして嫌な気持ちになる。そしていつしか自分で決めたはずの目標さえも「自分じゃ無理なのかな…」「親や先生はやめとけって言ってるし…」と自信を失って手放してしまう。そんな経験は誰しもあると思います。

 

 でもこれは、決してあなたの意志が弱いからとかではないんです。精神が育つにつれて大人達の言うことがどのようなものに変化していくのか、それをどう受け止めればよいのか知らないだけなんです。誰だってどうしたらよいか分からない事態に陥ったら混乱するに決まってます。

 そして経験上、イマイチ行動力が出てこないという悩みはこのマインドを持つことで大体解決します。参考までに、是非読んでいってください。

 

 

変化する説教

 では始めに、精神が育つにつれて変化する大人の説教について説明します。前述した通り、何もわかっていない子供の頃はやってはダメなことを躾けるのが説教です。ですが成長するとちょっと方向性が違って、「やってほしくないこと」をやめさせようとするようになります。

 この違い、分かりますかね?

 一見大して変わっていないように見えますが、実は大きく変わっています。言うなれば、これまで0か1か判別することを教えてきたものが、1だけどできればやってほしくないから何とか0に変えようとしているのです。

 なんか、余計分からなくなったでしょうか(笑)

 

 では、私が体験した一例を出します。

 「人のものを盗んではダメ」、「人を傷つけてはダメ」、これらは前者のやってはダメなことです。子供の内から躾けられます。

 そして「芸人になりたい? ダメだダメだそんな先が分からない職業」、「なんでそんな考え方しか出来ないんだお前は。もっと周りと合わせろよ」などがやってほしくないことです。分かってきましたか?

 要は大人は私達若い世代に「こうなってほしい」というビジョンが少なからずあって、それにそぐわない言動を見かけたりすると正したくなるのです。

 大人達は決して無駄に年を重ねているわけではありません。10年、20年とそれぞれが濃い時間を過ごして、成功出来て嬉しかったことや失敗して悔しかったことを積み上げて現在に至ります。そんな彼らからしてみれば、我々はまだまだ未熟に見える。ですから、若かりし頃の自分と同じような思考や行動をしている私達を見るとつい小言を発してどうにか軌道修正しようとするのです。同じ失敗をさせたくないと。

 

あなたは「あなたになる天才」

 上記の理由から、周りの大人が言う「あなたのためを思って言っている」はあながち間違いではありません。ですが悲しいことに、時としてそれが我々にとって障害となるケースがある。前述した、せっかく定めた目標に自信を失ってしまう場合がまさにそうです。

 何せこれまで私達が大人に深刻な顔をして怒られる時、それは絶対やってはいけないタブーを犯してしまった時でした。なので「大人を怒らせてはいけない。なぜならそれは私が何かいけないことをしてしまうことなのだから」とある種大人の顔色をうかがうように刷り込みがなされています。こればっかりは躾けの副作用と言うべき性なので仕方ないです。

 そしてそんな状態の私達に、同じように深刻な顔で、同じような雰囲気で説法をくれるものだから委縮してしまう。「あぁ親が、先生が認めてくれない。じゃあ私が見つけたこの夢ってやってはダメなことなんだ。」と。結果的には大人の望む通りに軌道修正できて満足かもしれないが、何か遺恨が残る。

 そしてそんなことを繰り返していると自信と自尊心を少しずつ損ない、いつしか何をするにもまず心配をしてしまうようになる。「こんなことをしてみたい。でもあの時も似たようなことを思って親に否定されたしな。また認めてもらえないんじゃ…」と。そのために行動力を失ってしまうのです。

 

 ではそんな悩みを解決するためにはどうすればよいのか。次の言葉を、意味を納得したうえで飲み込んでください。

あなたは「あなたになる天才」です。

 意味はそのままの意味です。あなたが今持っている、そしてこれから育てていくであろう能力、趣味、関心、意志、思考、経験、感情は、あなただからこそ得られるものです。

 大人がやってほしくないことを説法するとき、自分の経験から導き出した答えを基にしています。「あの時自分はこうやったら成功した。これをやったら失敗した。だからあそこでこうやって、こうなることが素晴らしい人生だ。」、これです。

 ですが冷静になって考えてみた時、あなたとそれを言ってくる大人とでは何もかもが違います。親であってもそうです。

 極端な話、大人と私達が同じひどい目にあったとして、大人はそれを「悲劇だ」「失敗だ」と嘆いたとしても私達はそれを失敗としてもとらえない可能性すらあります。例えば長年勤めていた会社が倒産、もしくは集団リストラで辞めなければならない時、私の父は「考えたくもない」と震え上がるほどの状況ですが、「やることがなくなったわけだし、退職金も貯金もある。そして同じ状況の同僚がこんなにいるんだ。皆を募って新しいビジネスを始めてみるか」と考える人だっていることでしょう。

 逆に、大人が導き出した「これが素晴らしい人生」という最適解が、私達にとってそうでもないことだってあります。私の母は看護師一筋で20年以上勤めており、「何事も一つこれと決めたらやり続けることが至高。そして給与も安定する公務員だとなお良し」という思考の持ち主です。それはそれで素晴らしい考えですが、では私がそれに共感して同じような生き方を選ぶかといったらそうではありません。私は「興味があることは色んなことに挑戦してみたいし、副業があまり許されない公務員はその考えと相性が悪いのでやりたくない」という思考を持っており、そのため進路相談や将来のことを考える家族会議では度々口論になります。

 

 ですから、大人の説法は「その人がその人らしくいるためのメソッド」であって「あなたがあなたになるためのメソッド」ではないこと、ましてや人生における0か1の正解なんてないこと、それを周りの大人が持っているはずがないことを強く意識してください。親や先生に認めてもらえないからと自信を無くす必要はまったくありません。他の大人が挑戦してダメだったことは、あなたがやればもしかしたら成功するかもしれない。失敗したらその時考えればいいし、その失敗すらもあなたらしく糧にすることができる。

 

 と言っても、周りが心配してくれているのは本当なので、その気持ちは素直に受け取る。そのうえで共感できる、好きだと思える考えは自分にも取り入れ、そうじゃないことを言われたら、「あなたはそう思うのですね。でも私はこう思います」と意見を提示して撤退する。その取捨選択もあなたの自由です。どの情報を取り入れてどの情報を省くか、それを決めることができるのは他でもないあなたであるべきです。

 

 

まとめ

 ということで今回は大人のための説教対策をお伝えしてまいりました。読んでもらったら分かる通り、対策といっても何か上手く言い訳をして回避する方法とかではありませんでした。むしろ自分を思ってくれる気持ちをしっかり受け止めて、そのうえで取捨選択しましょうという話です。「心配してくれてありがとう。でも私は私でやっていくから」と言えるような人間になりたいものです。

 

 もちろん、この記事の情報も取捨選択してもらってOKです。共感してもらえた皆さんは、このマインドを取り入れてみてください。

夢と才能を擦り合わせる

 

人生の入門者が語る

 「夢と才能」なんて大きなテーマを掲げていますが、私自身はまだ何も成しえておりません。なぜなら、私はつい最近になってようやく自分の夢を見つけ、これから育てていこうとしている”人生の入門者”であるからです。

 

 え? ではなぜこんな記事を? なんて声が聞こえてきそうですね。それは、こんな私だからこそ、私が持っていたものと同じような悩みを抱えている人達に、より近い目線でエールを送ることができるのかなと思ったからです。

 

 こういうことを取り扱っているビジネス書を本屋さんへ探しに行くと、筆者の方は一流のタレントだったりビジネスマンだったり、社会で一定の成功を収めた人であるのが一般的です。それもそのはず、その人の成功までの実体験があれば理論として説得力が増しますから。

 ですが、それは同時に、これから何かを為そうとする人にとっては彼らが遠い存在であると思い知らされたり、羨ましさや嫉妬心が邪魔して素直に言葉を受け取れなかったりするのではないでしょうか。ビジネス書を何冊か読んだことのある人ならこの感覚、何となく分かるかと思います。

 

 ですが、私なら、今まだ何者でもない私なら大丈夫です。嫉妬心なんて持つ必要はありません。ワンピースで言うなら東の海(イースト・ブルー)に小舟を浮かべて「やってやるぞ!」と両腕を振り上げているのが私です。こんな私でも、皆さんが吹っ切れるきっかけになれれば幸いです。

 

 

答えはすでに小さい頃の自分が持っている

 今は迷っている皆さんも、幼稚園児くらいの頃は大きな夢を持っていたと思います。野球選手やパイロットのようなかっこいい職業の人もいれば、仮面ライダープリキュアのようなヒーローに憧れた人だっていることでしょう。

 でもその夢を、金銭的な理由か能力的な理由か、もしくはまた別の事情で諦めて、それで今自分に何ができるのか、何を為したいのか分からない。そういう状況ではないでしょうか。私自身もそうでした。

 

 私は小さい頃、テレビに出演するようなキラキラ生きている人に憧れて「あんな風になりたい!」と思ったものです。なので芸術にスポーツに学問と、自分の飛び抜けた才能を探すため色々なことに全力で打ち込んでみました。

 しかし、残念なことに私には突出した才能はなかったようで、どれもこれも越えられない高い壁にぶち当たり、自分は大成するような人間ではないのだと一度は諦めてしまいました。

 

 ですが、夢を諦めて5年程経ったある日、自分を見つめ直す機会があり、深く考え込みました。

 

「私は一体何をやりたいんだ」

 

 そう自分に問いかければ、返ってくるのはあの日捨てたはずの夢だけです。それは無理だと分かっただろ、と反射的に却下しても、しばらくするとまたふつふつと蘇ってきます。

 私はほとほと自分に呆れ返りました。あれだけ挫折と苦悩に打ちのめされてまだその夢を追おうとするのかと。そして、フッと笑って立ち上がっていました。

 

「結局私はこの夢に取り憑かれていたのだな。分かった、こうなったらやってやろうじゃないか。」

 

 小さい頃、まだ社会の厳しさも自分の限界も残酷な世界のことも何も知らなかったあの頃に持っていた夢は覚えていますでしょうか。忘れてしまったのなら、目を閉じて、胸に手を当てて思い出してみてください。

 私が一度諦めた夢を追おうと決心した時、これは幼い自分からの贈り物だと思いました。何もやりたいことがない自分に昔の自分がくれたゲームであり、人生をかけた挑戦なのだと。

 

 どうでしょう、夢がなく、人生の目的に困っている皆さん。どうしても無いなら、昔の自分が託してくれた夢を追う気にはなりませんか。それは純粋無垢だったあの頃抱いていた夢ですから、自分にとってもいいものであることは間違いありません。

 

 

一度夢を捨てた経験が、夢と才能を擦り合わせる

 とはいえ、一度挫折した夢をもう一度持つことになっても、また諦めた時の二の舞になるのでは? と不安になるかもしれません。しかし、その不安はあっても問題ありません。むしろ役に立ちます。というのも、その不安があるからこそ次のような思考が出てくるからです。

 

「正攻法はあの時試したけど、どうやらダメっぽい。じゃあ回り道してみよう。」

 

 ドラえもんの登場人物で、のび太の子孫であるセワシがこんな例え話をしました。

 「例えば、君が東京から大阪へ行くとする。新幹線、自動車、船、気球、方法は色々あるけれど方角さえ合っていればちゃんと目的地に着けるんだ。」

 夢にも同じことが言えます。昔の自分は知識も経験もなかったので目的地への直通ルートしか頭になく、それが何かの事情で使えなくなるとそこで立ち往生するしかありませんでした。

 

 ですが、夢を捨てたことのある人、あるいはその夢すらも忘れるほど時間が経っている人ならもう知識も経験も蓄えられているはずです。なぜなら夢を捨てざるを得ないという判断をする程に現実をよく知ったのですから。

 

 その経験と幼い頃の夢が一つになればもう怖いものはありません。方法などいくらでも思いつきますから。

 例えば、仮面ライダーになることが夢だった人はこういう思考ができるかもしれません。

 

「超人的な身体能力や変身ベルトがないことが分かって諦めたんだったな。でもヒーローを”人を助ける人”だと定義するなら救助隊や消防隊を目指すといいかもしれない。”人々の憧れの的”だと定義するなら動画配信を始めてみるといいかもしれない。」

 

 さらにここまで来ると自分の能力や才能を擦り合わせることもできるようになります。この人が「人当たりがいい」とか「アニメやおもちゃに詳しい」といった才能を持っているとしましょう。それら単体ではパッとしない地味なものかもしれませんが、上記の思考にこう組み込むことができます。

 

「よし、俺は人を助けるヒーローになりたい。消防隊員を目指すぞ! そのために自分はどんなことができるか……。そういえばよく周りから”人当たりがいい”と言われるな。地味な力だけど、これを活かせば隊のムードメーカーとして貢献できるかもしれない。後俺はアニメとおもちゃが好きだな。現場で不安がる子供達に話題を広げて元気づけることができるんじゃないか。」

 

 どうでしょう。これまでパッとしないが故に見向きもしなかった自分のちょっとした才能が、こうして見るととても有効なもので、その人の唯一無二の立ち位置を作っていると思いませんか? 

 友達や家族から言われたこと、人とは違うなと思う所、何でもいいので書き出してみてください。極端な話、人と違っている自分の所は全部才能です。どんな小さなことでもいいのでとにかく書き出してみましょう。手札は多いほうがいいです。

 何せ上記の仮面ライダーの人の例ではたった2つの地味な才能でさえ相当その人の夢をその人色に、具体的に染め上げました。もっと自分を擦り合わせていけば、その夢は誰のものでもないあなただけのものとなります。

 

 この夢と才能を擦り合わせるという作業、やっててすごく楽しいですしワクワクします。試してみてください。

 

自分の夢に名前を付ける

 夢と才能を擦り合わせる作業は楽しんでもらえましたでしょうか。漠然としていたあの頃の夢は大分具体性を増し、あなた色に染まっていることと思います。

 ではここで、その夢に名前を付けてみましょう。なぜそんなことが必要か、それは一つに自分のモチベーションを上げるため、もう一つは仲間を得るためです。

 

 せっかく見つけた夢ですから、共有してくれる仲間を得たほうがもっと素晴らしいものになります。クラウドファンディングなんてものが世に知られる時代ですからこの感覚は理解していただけるのではないでしょうか。それに、自分を擦り合わせるだけであれだけ可能性が広がってワクワクした夢に、協力してくれる仲間の力まで加えることができたらスケールはもっと大きくなります。

 

 私の場合、擦り合わせの結果「”やりたい”という感情を大切にして色々なものに挑戦し、その時々の思考や意思を表現していきたい」という夢を見つけました。文章にすると少し長いですね。

 そこで私はこの夢に「感情主義者(クオリアン)」という名前を付けました。これで、仲間になってほしい人に「私は感情主義者(クオリアン)になる!」と宣言することができます。興味を持ってくれた人に上記の説明をするわけです。

 

 また、夢を自分色に染め上げた人は分かるかと思いますが、その夢はもう「スポーツ選手」とか「パイロット」とか、単純な言葉では言い表せなくなっていることでしょう。それはもうあなただけの夢ですからあなたが名前を付けてあげなくてはなりません。それはこれからのあなたの象徴(シンボル)ですから、立派な名前を付けてあげてください。

 

”覇気”とはこういうことかという感覚 

 ワンピースには”覇気”という力が登場します。自らを強く信じる意志が生み出す強力な力です。

    夢を作り上げて、名前まで付けたあなたはその感覚が何となく分かるのではないでしょうか。その夢はまごうことなくあなただけのものであり、それを持っていることで自信も湧いてきます。

 もし誰かに「バカを言うな」とか「それは無理だよ」なんて否定されてもこう返しましょう。

 

「分からないのも仕方ないさ。俺のための夢だもの」

 

 せっかく見つけた、あるいは取り戻した夢なのです。後はそれを一日一日楽しみながら育てていきましょう。その夢が将来どんな姿になるのか想像することは明日を生きる活力になりますし、自己肯定感も高まります。

 夢というのはすごいもので、まだ叶っていない原石を抱いているだけなのに日々に彩りをくれますし、確固たる信念や覚悟なんてものもそこから生まれます。現に私は夢からエネルギーをもらい、周囲の反対を押し切ってやりたいことを追求するために大学を辞めて専門学校へ行く決断をしました。

 まだ育っていない種の状態でここまでエネルギーを貰えるのですから、ここから数十年かけて育てた時、どれほどのものを私にくれるのか、楽しみで仕方がありません。

 

最後に ~東の海(イースト・ブルー)から小舟を出す~

 ここまで読んでくれた皆さん、自分だけの夢を持てましたでしょうか。ワクワクしていますか?もしそうなら、皆さんは私と同じ状態です。同志です。持つ夢も見る景色もお互い違うでしょうが、共に頑張って育てていきましょう。

 自分だけの夢を育てる、そのために私達は自分だけの道を進むことになります。宛ら海賊王になるために故郷の島から東の海(イースト・ブルー)に小舟を出したルフィのように。

 時に周りの理解を得られず、孤独になる時もあるでしょう。私も、専門学校へ行くことは許してくれた両親にも夢のことは理解してもらえませんでした。

 

「やりたいことをやる? 甘えたことを言ってないで、専門学校でちゃんと技術身に付けて安定した定職に就け!」

 

 こんな具合に、捲し立てられます。親として心配してくれているのは嬉しいのですが、もう私は自分の夢を手放したくありません。安定だの何だのという一見正しく見える選択肢に身を委ねたくありません。年長者から見てそれがどれだけ幼稚で甘ったるい考えであっても、私はそれを実現することに賭けてみたい、覚悟を持てたのです。

 

「その覚悟、本当? 軽々しいこと言うなよ」

 

 なんてことも言われました。しかしこれは完全に的外れな発言。これから育てていこうとしているのですから、それがどれほど大きくなるか、そのためにどれほどの覚悟が必要かなんて今から分かりようがありません。この先、足りないと分かったら継ぎ足せばいい話で、それでもダメならまた回り道を考えるまでです。方法はいくらでもあるのですから。

 

 それに、まったく理解されないというわけではありません。この夢を大学の友人達に話してみた所、応援してくれましたし、その内2人は「面白いね」と仲間になってくれました。同じ夢を共有してくれる仲間ができたのです! 

 すごく嬉しかった。大学を辞めるため彼らとは離れ離れになってしまいますが、今でも語り合ったり、絵が得意な人だったので私のロゴマークを描いてもらえることになったりと、友達とは違う特別な関係になれたと感じています。

 

 夢を追うということは皆とは違う道を行くということ。それは時に普通から外れることであるため怖い事だと思います。私もたまに不安になります。

 でもそれは自分がやりたいと思って選んだ道、幼い自分からの贈り物であり、自分で作り上げたあなたにしか育てられないあなただけのもの。胸を張って、共に歩いていきましょう。

 

 以上、ミルさんでした。

 

 

 

 

 

 

ミルさんブログデビュー

 どうもこんにちは。ハーメルン様にて二次小説を投稿させていただいている「グランド・オブ・ミル」こと、ミルさんです。

 人生初のブログということでとりあえず初投稿です。これからよろしくお願いします。

 

 私のブログでは、主に「銀の楽園」というオリジナル小説を書いていこうと思います(ブログと言ってよいか分かりかねますが)。少し前にハーメルン様、そして小説家になろう様へ掲載させていただいたものを加筆修正しました。

 

 私の思考や感情、経験、好きを混ぜ合わせて魅力的な作品に仕上げていくので、どうか楽しんでいってください。